祇園祭は5月の葵祭・
10月の時代祭と並ぶ、
京都三大祭りの一つです。
この由緒あるお祭りは、
いつから行われるように
なったんでしょうか?
祇園祭に欠かせない
粽(ちまき)とともに、
その由来と起源、
歴史をまとめました。
京都祇園祭の由来 起源と歴史
京都祇園祭といえば、
山鉾巡行や宵山(祭り・露店)が有名ですが、
それだけではありません。
祇園祭は7月1日から1か月にわたって
開催される八坂神社の祭(神事)です。
その歴史は古く、
平安時代(869年・貞観(じょうがん)11年)、
疫病封じのために、
当時の国の数と同じ六十六本の矛を立てて
諸国の穢れを祓い、
神輿三基を送り牛頭天王(薬師如来の化身)を
祀った神泉苑での御霊会(ごりょうえ)が起源です。
”祇園祭”と呼ばれるようになったのは、牛頭天王が
”祇園神”とも言われていたからです。
それにちなんで牛頭天王を祭る神社を”祇園社”
周りの地名も”祇園”と呼ばれるようになりました。
この祇園社が現在の八坂神社です。
平安中期ごろから規模が大きくなり、
室町時代には様々な特色を持った
山鉾が登場します。
以後、祭りの中断や山鉾の焼失など
様々な障害がありましたが、
その都度、町の人たちの努力により
復興し、現在の祇園祭に至っています。
祇園祭の行事日程(2019年)は
こちらの記事をご参照ください。
↓ ↓
京都 祇園祭 2019 日程と主な行事のスケジュール
祇園祭の行事の詳細については
こちらの記事をご参照ください。
↓ ↓
祇園祭の行事について 神事等の順序と詳細説明
祇園祭の粽の由来とは?
祇園祭の粽(ちまき)は食べ物ではなく
疫病・災厄除けのお守りです。
その由来は、昔、牛頭天王
(素戔嗚尊:スサノオノミコト)が
巨旦将来(こたんしょうらい)と
蘇民将来(そみんしょうらい)という兄弟に
一夜の宿を求めました。
兄の巨旦将来は
家庭が裕福であったのに拒絶し、
反対に、弟の蘇民将来は
貧乏でしたが快諾し、
とても手厚くもてなしました。
牛頭天王はその真心をとても喜び、
翌朝旅立つ前に、蘇民の子孫を末代まで
疫病から護ることを約束しました。
目印に腰に茅の輪をつけ、
蘇民将来の子孫と名乗るように、
と言い残して立ち去りました。
後に疫病が流行った際、
巨旦将来の子孫は死に絶えましたが
蘇民将来の子孫は疫病を免れ
代々繁栄したといいます。
茅の輪は”茅”を束ねて作ったものなので、
茅巻きと呼ばれるようになり、
これが現在の笹の葉で巻いた
”粽”の本来の姿です。
そしてその故事にちなみ、祇園祭の粽には
”蘇民将来子孫也”
という護符が付いています。
まとめ
祇園祭の起源は
疫病封じの神事だったんですね!
これだけの長きにわたり、
受け継がれてきた伝統あるお祭りが、
これからも末永く
受け継がれていくといいですね。
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